「袖」

道真公は都での政変に心身共にお疲れになり、またいつ都へ帰ることができるともわからない太宰府への左遷にどれほど傷つかれたことでしょう。
(この昌泰の変に関しては多くの文献や資料が残っているのでここでは割愛させていただきます)
このような事情ですから、失意の中、太宰府へと下って行かれるその道中立ち寄ったこの地の里人らに歓待された道真公は心身を癒され大層喜ばれたと言い伝わっております。そのお礼として御自らの装束の片袖に自画像を描かれ、与えなさったそうでございます。
現代のわれわれの感覚では、お礼に「袖」をあげる?なぜ?といった感じですが、古代の日本人の考えを紐解いていくと、なるほど、と腑に落ちます。

現在でも「袖振り合うも他生の縁」「ない袖は振れぬ」「袂を分かつ」などの言葉が使われますが、古代より「袖」という言葉からは「人の思いがこもる場所」「神や仏の依り代」「自分の分身」「愛しい人を思って流す涙」など、多くの「縁」にまつわるイメージが想起されます。

・あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る(額田王)
~紫草の生えた野を行き、御料地を行きながら、野の番人は気づきはしないかしら。きっと気づくわ。あなたが私に袖を振るのを~
・さつき待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする  (読み人知らず)
~五月を待つように咲く花橘の香をかぐと、昔の恋人の袖の香りのすることよ~
・わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし (二条院讃岐)
~私の着物の袖は、潮が引いても見えない沖の石のように、人は知らないけれど涙のために乾く暇もないほどなのです~

・契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは (清原元輔)
~約束しましたね。互いに涙で濡れた着物の袖をしぼりながら、末の松山を波が越すことのないように、心変わりするなんてことは決してないのだと・・~
・おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染めの袖 (前大僧正慈円)
~分不相応ではあるけれど、つらいこの世を生きる人々に覆いかけたいものだ。私の比叡山での仏への祈りを~

・ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは (在原業平)
~神代の昔にも聞いたことがない。竜田川が、散り落ちた紅葉で水を紅色の絞り染めにするなんて~